私は、現在31歳となる会社員です。現在は、新入社員として入社した会社を含めると、3社目の会社で調達・物流課の課長職を勤めています。3社目にして、やっと自分のやりたい業種につき、自分で言うのもおかしいが、それなりの実績を残し、若くして課長職となることができました。
そんな私の就職活動に関して、少々お話ししたいと思います。私の時代は、売り手市場最終年と呼ばれる年で、各社、優秀な新入社員を確保しようと、気に入った学生には、リクルーター面接と称し、面談後においしいお店に連れて行って頂き、とにかく楽しい就職活動時期でした。
某有名国立大学の分系大学院に属していた私は、そのまま研究を続け、研究者になろうか、あるいは公務員になろうかなどと就活に関してはあまり深い考えがなく、自己分析はもとより、企業研究や就職対策等に関し、友人から聞く程度で、自分自身からはなにも準備していない状態でした。
ただ、大学院にてラテンアメリカ系の研究を行っていたこともあり、ただ漠然と、一般企業で働くのなら、中南米に関わる部署で仕事がしたいと考えておりました。 そこで、周りに流されるまま、とりあえず就職活動を始めたのが、スタートであります。就活開始時期としては、他の学生に遅れはとってなかったと記憶しております。
そんな形でスタートした就職活動ですが、先ほど申し上げた通り、大した企業研究もしていなかったため、いわゆる社会的にも名前が知られているような、一部上場企業の中でも、雑誌、新聞等で、給料の高い企業トップ100などのランキングに入っているような大企業の説明会に参加し、そのままインターネットで応募するというような状況が続いておりました。 それでも、有名大学の大学院生という点が功を奏し、次々とリクルーター面談の要望が届き、正味1か月間の就職活動期間は、毎日秋葉原までつながっている、某エクスプレス列車に揺られながら、都内まで面談に行くという日々が続いていました。 もともと口が達者で、自己分析なんかはわりかし自然にできる性格であるため、最終的には、一部上場の有名企業5社から内定通知を受けることができました。
その5社から最終的に選んだ企業は、某完成車メーカーで、国内はもちろん海外でも一大ブランドとして認知されている企業でした。その際の決定材料は、人事部の方から言われた「中南米営業」を担当させてやる、の一言でした。 特に職種に興味のなかった私は、就活を始めた際のぼんやりとした、一般企業に入るなら「中南米」に関わる仕事がしたいとの一心のみで、その会社への入社を決意しました。
正直、給料や福利厚生といった条件面のみなら、商社やインフラ会社等、大きく勝っている企業もありましたが、自分なりのやりがいということを考えて、曲がりながらの初志貫徹をしてみたつもりです。
但し、本当に大変だったのは、入社後。冒頭でお話した通り、最後の売り手市場として入社した私たちの代。入社後3か月の新入社員研修が終わり、実配属になるころには、すっかり経済も落ち目となっており、当然人事部が約束していた「中南米営業」への配属も、社会状況の変化を理由に破談となりました。 その後、代わりに配属されたのはヨーロッパ営業。正直、希望の部署に入れず、落胆からのスタートでしたが、逆にここでの出会いが、運命の出会いとなりました。
というのも、そこでOJTを担当して頂いた課長が、かなりのやり手で、配属初日から社会人とはなんたるかを、一から叩き込んで頂きました。
逆に外からみていた中南米営業は、中堅社員がおらず、いるのは退職間際の窓際課長と、入社3年目の若い社員が数名。売り上げも思った以上に伸びず混沌としている部署でした。 結局その企業では、3年間働き、政府プログラムで留学のため退職となってしましましたが、前述の課長による厳しくも愛のある指導のおかげで、今の自分があると確信しております。